戸崎は夜と遊ぶ

人生は、博打だ。

吾輩は屑である(自己紹介その一)

私の名前は戸崎司(とざきつかさ) バランスが取れたようで取れていない、妙な名前の自称底辺ギャンブラーだ。

初投稿なので自己紹介をしたいと思う。もし何かの間違いでこのページに辿り着いてしまった方は、厚かましいとは承知であるがさらりと見てもらえると筆を取った甲斐が有るというもの。 

戸崎という人間はこうだ。

1990年夏 サザンオールスターズの「真夏の果実」が流行っていた頃某大学病院にて産声を上げた。 不思議な事に30を過ぎた今になっても父と母の間を這って行き来していた日の事を覚えている。這いつくばっているのは30年前と変わらないか。 小学校高学年になるとゲームセンターで取ってきた景品を職員室で獲得に要した額の5倍〜10倍で売るなどして小遣いを増やしていた。家は比較的裕福で有ったので金には困らなかったが、自分で仕入れた物を嬉しそうに買っていく事が俺にもまた嬉しかったのだ。少々高くてもゲームセンターにしか置かれていない限定グッズは売れ易かった。 当然後で問題になって中止せざるを得なかったのだが。 私はそこそこ運動神経が良かったのだが生まれ付き身体が弱く、中学に入ると性格や人付き合いの悪さもあってか少しいじめを受けるようになった。 だから学校へ行くのは辞めた。勉強なら家で出来るし、当時通っていた塾の方が楽しく学べたから特に真面目に学校へ行く必要を感じなかった。 その為日中はパチンコ屋でスロットを打ったりゲームセンターや漫画喫茶で過ごしている事が多く、大人になればなるようになってゆくと漠然とした考えで進路も適当に決めた。 学校で過ごす時間は給食の時間と当時映像技術の勉強をしていたHらと話す時間くらいだったか。 修学旅行は参加したが地獄だった。3年間同じ学校なのにほぼ初対面の者3人と同室なぞ、自分で招いた結果とはいえ「これが青春ってやつか〜」等と絶望したものだ。 高校生になると単車に乗り始めて行動範囲が広がって人生が始まった気がした。 学校へも通うのが楽になったから初めの頃は真面目に通っており、バイク通学(駄目らしい)の生徒は珍しかったので女子にもちやほやされて学校が楽しかった。 調べた事も無いので知らないが多分偏差値40位のおバカ学校で、授業は割と崩壊していた様に思う。 男女共にヤンキーが多く、また結構イイ奴も多かった。 パチンコ屋には継続して通っており、エヴァン○リオンのスロットは特に勝率が高かったので単車を転がして複数店舗見て回って稼がせて貰った。 私は「これが青春ってもんだよなぁ」と1人納得していた。 この頃麻雀と出会い、強くなりたいと感じた私は年齢を偽って麻雀屋でバイトするようになる。 やはり学校へは行かなくなり、日中のバイトが終わったら他の店に麻雀を打ちに行って夜はネット麻雀で記録を取って勉強した。バカは遠回りが好きなんだ。 麻雀の本なんかも何冊か読んだが、怪しい事を書いた内容が多くあまり参考にはならなかった。(最近の戦術本は良いものが多いが当時はまだデジタルという考え方が定着しておらず、流れとか状態とかが平気で1600円もする本に書いてあったのだ) そんな本は仲間内で麻雀好きな奴にくれてやり、カモを育成しておけるので1600円以上の価値は有ったかな。 次回につづく